「公園廃止」

数日前に「公園廃止」というニュースがネットを賑わせた。

 

 

理由は「子供の声がうるさいから」という一部の大人たちのクレーム。

 

そもそも「公園」というのは「子供たちが安全に楽しく遊べる場所」として存在する
意義があり、同時に地域住民の憩いの場としても活用されるもの。
行政もそれなりの対応策を講じてきた経緯も理解できるが、一部の大人たちの言い分だけを
取り上げるのは頷けない。

いつも子供の言い分は無視される。
それは彼らが「子供だから」という理由だけでだ。
子供にも「権利」がある。
未成年だからという理由で、彼らの言い分を無視していい事にはならない。
こうして大人の側が一方的に決めてしまう事案が散見される度に思う。

 

大人たちはいつからこんな「心が狭く」なったのか?

 

自分にとって不都合な事や不愉快な事が起こる度にクレームをつける人は、常日頃から
「不満」を抱えている。
そして漠然とした「不安」も抱えている。
だから他人の言動やちょっとした事にでも「不安」を覚え、それを解消する為に自分の
「主張」を「正論」にすり替えて安全を確保しようとする。

 

「子供は親が育てるもの」ではなく「親」「地域」「社会全体」で育てるもの。

 

自分達が子供の頃を思い出して欲しい。
自由に遊べる空き地や公園、河川敷があって野球もサッカーもできたのではないか?
自分たちの時代は良くて今はダメという理論は通らない。

 

時代の変遷と共に、大人達が「寛容さ」を忘れ「譲り合い」を忘れてしまった。
子供の成長の為に屋外で遊ぶ事はとても重要なのに、大人は子供たちから多くのモノを
奪っていく。

 

その反面、社会は「子供連れ」や「家族向け」サービスが徹底しておりどこの行楽地も
家族が不自由なく楽しめる配慮が成されている。

 

大事なモノの優先順位がズレまくっている。

 

本当に大切なのは「日常」だ。
子供たちが子供たちだけで、工夫し、創作し、安全に遊べる空間を提供するのが
大人の役割だ。
その最たるモノが「公園」という拓かれた空間なのだ。

 

大人たちに見守られ心置きなく遊べる場所が、こうしたクレームによって奪われていいのか?
子供たちは何処で遊べばいいのか?
自分の都合の為なら、子供たちを犠牲にしても仕方ないと思っている大人が居るとしたら、
その大人は何と「カッコ悪い大人」だろう。

 

私自身、一児の母として子供には嫌な思いをさせてきた「未熟な親」だったと自覚している。
だからこそ大人のカッコ悪さを見るにつけ、過去の自分を想起して腹立たしくなる。

 

大人は子供に沢山の事を教えていく中で、子供と共に成長していくのだ。
子供は大人たちの都合に振り回されながらも、その中で自分なりに考え行動していく。
子供から教わる事は沢山ある。

 

大人も子どもも同じ人間として「対等」なのだという事。
「子供を大切にする」という事の本質は、
子供の為のサービスを充実させる事ではなく、子供たちが日常の中で自由に伸び伸びと
「自己表現」できる場を確保し守っていくことだ。

それは大人にしか出来ないのだから、
そこに「大人」としての「カッコ良さ」があると私は思う。

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