「進撃の巨人」

知る人ぞ知る「進撃の巨人」のアニメが今月の11月4日に完結した。

 

 

一ファンとして約10年観続けたきただけに、その完結編は見事な終焉だった・・・
そしてその完結にはやはり、切なさと悲しみと幾ばくかの虚しさを伴った。

 

「進撃の巨人」を初めて観た時の感想は
「私好みの作品が来た!」という高揚感と大いなる期待。
それを裏切る事なく進んだ「Season1」については、大方の予想通り
「人間VS巨人」という構図から主人公エレンの「親の仇たる巨人を駆逐する」
という視点で描かれていく。
(以下、ネタバレも含みます)

 

ところがその「Season1」で、そのエレンが巨人化するという想定外の出来事が起こり、
ミカサと同じくらい視聴者は茫然とする。

 

そんな一見「善悪論」の復讐モノかと思わせるこの「進撃の巨人」
私の様な凡人では到底想像もできない壮大なストーリーである事が先々で分かってくる。
(私は原作未読なので、アニメを元に感想を述べる)

 

細かいストーリーの説明や考察は他に委ねるが、私がこの「進撃の巨人」を観て
感じた事は、

「それぞれの立場によって善悪が入れ替わる」

という真実を、時に厳しく残酷に、そして優しく穏やかに伝えてくれる作品だった・・・

 

特に「Final Season」からの物語はこれまでの巨人との死闘から一転して、
政治的かつ歴史的な視点で話が進み、誰が正義で何が悪なのかが曖昧になってくる。
「マーレ」と「エルディア」という異種国家間での長きに亘る怨恨。

 

ここから話が難解になり、当初の期待や思惑と違う方向に話が進みだした事で、
離れたファンもいると聞いた。
私の場合「サシャの死」があまりにもショックすぎてその先が観れずにいたが、
完結編に向けて改めて全話をこの二ヶ月で観直した。

 

改めて一気観すると、難解ながらも話の根幹や枠組みが見えてくる。
「戦争」の残酷さと「人々」の恐怖「巨人」の恐怖や「権力」の恐怖。
初めは「巨人」に対する脅威への恐怖が、実は幾つもの歴史の繰り返しの中で
引き継がれてきた人の所業であったという事。

 

話の中に散りばめられた幾つもの伏線が、見事に回収され形となってゆく様は
本当に見事と言うしかない。
何度も出てくる木陰のシーンでのエレンとミカサ。
それがエレンの眠る地であり、ミカサの眠る地でもあった・・・という事。

 

印象に残るシーンだけでも多すぎて、ここでは語れない。

「進撃の巨人」

という言葉の意味も「巨人が進撃して襲ってくる」という単純なモノではなく、
9つの巨人の一体が「進撃の巨人」であり、その力を受け継いだのが「エレン」
というオチ。

 

この物語は、一言では語れない多くのメッセージを含んでいるように私には思われる。
そして様々な事を考えさせられた作品だった。

 

観る人を選ぶ作品ではありますが、人間の弱さや憎しみや怒りなど、
自分を誰かのキャラに置き換えて観ると自分の醜さや弱さに直面させられる。
そういう意味では自分を客観的に視れる稀有なアニメだった。

 

長きに亘り放送されて「進撃の巨人」
原作者を始め、この作品に携わった全ての人に感謝したい。
素晴らしい作品をありがとうございました。

 

面白いアニメは数あるけれど、自身の人生観に影響を与える程の作品は
稀にしか出逢えない。

「進撃の巨人」は、私にとって紛れもなくそんな稀有な作品だった。

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