「2023年」を振り返る

「2023年」もあと僅か。


毎年呟く言葉が決まって「あっという間だった」では、流石につまらない。

「2023年」を振り返ってみると「個人的に特別な年でもなかった・・・」
という所に落ち着く。

 

それを
「何もなくてつまらなかった」と捉えるか
「何事もなく平穏で良かった」と捉えるかで変わってくる。

 

昔の私なら「何もなくて・・・」という方向に向いていただろうが、
50も過ぎると「当たり前の日常の延長線上に迎えた年末」というありがたさに
感謝しかない。

 

歳を重ねるというのは「足るを知る」という事なのだと思う。
「2023年」は暑さが大の苦手な私には耐えられない年であり、物価高に悩まされた
年だった。
それでも何とか生き延びて「冬」の寒さを喜びと共に感じている。

 

そんな寒い季節に浸りながら振り返る時、
今年の出来事はやはり高齢になった「両親」の事。
ありがたい事に、我が両親は共に「健康」でいてくれている。
但、「母親」が数年前に転んだ事で歩行がやや困難になっている事と、その過程で
病院通いが日常となり、服用する薬に依存している感じが個人的に「不安」でしかない。
そしてそんな「母」を甲斐甲斐しく世話する「父親」も来年で90歳。
父の体力も年々落ちてきているのは否めないが、それでも頑張って母を支える父の
存在には「尊敬と感謝」しかない。

 

「親の介護」に、どこまで子供が関わって良いのか本気で悩んだ年だった。

 

体がしんどいのは分かっても「じゃあ楽にして何もしなくていい」と言ってしまうのは、
母から家事を奪ってしまう事。
まるで「役に立たない」というレッテルを貼ってしまうようで出来ない。
母の作る料理が美味しいからこそ、ここだけは母から奪ってはいけない
「場所」であり「役割」だと思う。
だからと言って無理をして欲しくもない。

・どこまで動いてもらえばいいのか?
・どこまで楽をすればいいのか?

この線引きを同じような境遇の人はどうしているのだろう?
今年の課題であると共に、来年以降も常にずっと続いていく「私の課題」であるのだ。
私の自己満足を押し付けるのでもなく、父の気持ちを尊重しながら、母の望みと体力を
少しずつでも回復していって欲しいと思う。
今まで出来た事が出来なくなる・・・という現実を受け入れられず、その歯痒さに
イライラしている母を見るのは辛い。
それはきっと母に限らず誰もが「老い」と向き合った時に感じるものだ。

 

85歳という老いに向き合って受け入れて欲しいと思う。
勿論それが「娘」としてのエゴであったとしても、諦めてしまうのではなく
自分の足で動いて欲しいし、父の気持ちも報われて欲しいと願う。

 

2024年の春。
家族全員で一泊の温泉旅行を計画中。
見える景色が変われば、母の意識も変わって、もう少し前向きになってくれるのでは
ないか・・・そんな期待を胸に私の「2023年」は終わっていく。

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