「2024年」~祈り~

「2024年」~祈り~

新年を迎えて新しい事を始めるとか、何かを終わらせるとか、人それぞれ思いや願いは
あるだろう。

 

私も今年「2024年」を迎えて意識して行うと決めた事が一つある。
それは「祈る」という事。

 

穏やかな年の初めを襲った「能登半島地震」に誰もが畏怖し慄いた事だろう。
かつての東日本大震災を彷彿とさせ、生々しい記憶を呼び起こさせた。

 

この度「能登半島地震」に於いて被災され、今尚避難生活を余儀なくされた皆さまの
「当たり前の日常」が一日でも早く戻る事をお祈りします。

 

実際に行動に移している方も多くいらっしゃると思いますが、まずは一人一人の意識を
被災地に向けその意識、つまり具体的な「願い」や「祈り」を届ける。
それをして欲しいと思う。

 

人の意識とは「エネルギー」でもあります。
言い方を変えれば「念」というものです。

 

「念」と言うと何か怖いモノや心霊的な意味に受け取られがちですが、
人の「思念」はその人の「思い」なので、良くも悪くも「思い」次第なんです。

 

つまり、日本全国の国民が被災地に向け、復興の願いや祈りを送る事は誰にでも
出来ます。
人間の意識にはそういう「力」「エネルギー」が備わっているのです。

 

だからこそ使い方を誤れば人を「呪う」事も出来る。
「呪い」とは相手に対し悪しき思いや不幸を願い続けるもの。
実際「呪いの藁人形」など古来から伝わる呪いの儀式の一つ。

 

「人を呪わば穴二つ」

 

という諺通り、人を呪い・恨み・悪しき念を送る事はかなりのエネルギーを消費し、
その「念」はそのまま本人にも影響を及ぼす。
それでも構わないという代償を覚悟しての「呪い」は、それなりの力を持って成就する。

 

ならばその反対の「祈り」も同様。
対岸の火事ではなく、明日は我が身という思いは誰もが持っているだろう。
それでも、東日本大震災からの復興を果たした東北地方に倣い、能登半島もいつか必ず
復興するだろう事を信じて、祈りを捧げる事。

 

それを一人でも多くの人にやって欲しいと願う。

 

「祈るだけで復興できるものか」
と思われるかも知れないが、人の想いという力は侮れないものがある。
何よりも、そう「祈る」事で自分自身の意識が変わり行動が変わってくるのです。
それは誰かに強制されたものではなく、自らがそうしようとした行為には沢山の
「縁」が繋がってゆきます。

 

同じ様な祈りや願いを持つ者同士の繋がりが出来、そこから沢山の人の手を経て
被災地へ届く。
どんな些細な事でもそれはきっと「誰か」の「何か」の役に立つ。
たった一つのおにぎりや、一本のペットボトルをありがたいと思うように、誰かの
小さな親切や願いや祈りが形を変えて届く。

 

「思念は伝播する」
「祈りが祈りを呼ぶ」
「強い想いは現実となる」

 

怪しい占いでもスピリットでもなく、強く想い描く現実はその人の元へと引き
寄せられるもの。
だから不安や恐怖に捉われるのではなく、まずは今「日常」を送れないでいる
人々へあなたの意識を向けて欲しい。
そして、一日一回でいいので「平穏な日常」を取り戻せるよう「祈って」欲しい。

 

誰かを想う「祈り」は、その祈り者に対しても同じような恩恵をもたらします。

 

自分の不幸を呪い、周りや社会情勢に不平不満ばかり言ってもそれは全部自分に
返ってきます。

 

誰かを「呪う」人は誰かから「呪われる」という事。
誰かを「祈る」人は誰かから「祈られる人」

 

誰の心にもあるほんの少しの「優しさ」を見知らぬ人々に届ける。
そんな一年であって欲しいし、私もそういう人々と関わっていきたいと「祈る」

 

皆さまにとって良き1年でありますように。

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