日本人特有の「思いやり」は世界からも賞賛を浴びていますが、国内においてこの「思いやり」や「優しさ」は時に自分の首をしめかねない場合があります。
コロナ禍においての「思いやり」の象徴が「マスク」
本来、任意であるべきものと思う事柄がコロナ騒下では自分を苦しめる。個人的にマスクが嫌いな私にとっては、コロナよりこのマスク社会が「脅威」であり「苦痛」であり「ストレス」である。
それでも世間の人々は言う「大切な人を守る為に」という言葉の内に(ガマンしろ!)という脅迫めいたメッセージを感じるのは私だけではないだろう。
日本はいつから自由ではなくなったのか?
あらゆる場面でマスク着用を義務付けられる社会を私は「異常」でしかないと思っている。
私のような人間は少数派なのだろう。屋外では完全にノーマスクで快適に過ごしているが、
時折人の視線を感じてももう動じなくなった。ただ、何処かへ行きたいな~と思っても、電車内やら店内の随所で「マスク着用」を求められるこの時期では、そんな気力も削がれる。
このクソ暑い中マスクをしている皆さんをある意味「凄い」と思う。
私は「ガマン」が苦手であり、嫌いだから^^;)>
日本国内での「優しさ」=「ガマン」という図式は昔から存在するが、私にはこの国民性がどうにも合わないらしい。
このマスク社会が果たしていつまで続くのか、おそらく「外したくない人」が圧倒的だろう。何故なら、素顔を隠せるし、表情も読まれないし、化粧もしなくていい。おまけにマスクを付けているだけで年齢不詳になり「マスク美人」「マスクイケメン」が増えるという現象は日本人の気質に合うだろう。(笑)
だから世界各国がマスクを外して日常を謳歌しているのに、日本だけが「マスクに依存」してしまっている。日本のお家芸である他人への「思いやり」や「優しさ」が、個人の自由を「奪い」「殺して」いる・・・・そんな気がして怖くなる。
他人の為に自己を犠牲にするのは「思いやり」ではない。
そもそも自分を大切に出来ない人に、他人を大切する事なんて出来ないからだ。
そこには必ず「~してあげた」という思惑が潜んでいるから、その思いが何となく相手に伝わってしまう。親切心はありがたいのだが、この「ありがた迷惑な行為」が人間関係の中では頻繁に起こっている。
全ての人が自分を最優先に考えて行動すれば、自ずと皆の自由と権利が守られる社会へと辿り着くはずなのに、他人目線から「いい人であろうとする人」はそこから踏み出せない。
日本は今、本当の意味で「混迷」している。