夏休みの「挑戦」

夏休みの宿題は子どもだけの課題ではないのか?

 

昨今の夏休みの宿題に「親」が躍起になっているのを、常々疑問に思っている。
子どもに出された宿題を「親」が代わりにやる。
或いは「代行業者」に頼んで提出する。

 

子どもが宿題に悩んだ時に、アドバイスや提案・出来ない所を手伝ってあげるのはとても
いい事だと思うが、夏休みの最後になって「家族が総出で宿題を仕上げる」という
アニメにありがちな光景は正直「違うだろ!」とツッコミたくなる。

 

私が子供の頃と今の子供とでは、出される宿題の規模も内容も変わってきているのだから、
一概には言えないが、学校から出された宿題は「自分で何とかする」という意識があった。

 

私も宿題が嫌いで、算数のドリルなど分からない所は全部空白だったし、日記も適当。
自由研究に至っては、牛乳パックにボタンやら何やらくっつけて適当なロボットっぽいもの?を作って誤魔化した(笑)
だって親は一切手伝ってくれなかったし、それが当たり前だった。

 

現代の親たちは子供に「甘い」のだと思う。
それが「愛情」だと思っているのかもしれないが「甘え」と「愛情」は違う。

 

自分に課せられた課題を自分の力で成し遂げるという「成功体験」が子供の頃には必須だ。
それを先回りして親がやってあげるのは「優しさ」ではなく、子供からその大切な機会を奪っている事になる。

 

親の立場から考えると「子供に恥をかかせたくない」「先生からの評価が下がる」等、様々な思惑が見え隠れするが、子供の恥は親の恥であり、子供への低評価は即ち「親への低評価」へと繋がる。

 

そういう意識が今の「家族総出の宿題完遂」という行動を起こすに至ったのだろう。
中学受験の際「宿題を毎年ちゃんとやっているか?」も、きっと査定の一つなのだろう。
そもそも夏休みの宿題はやった方がいいかも知れないが、嫌ならやらなくてもいいという
選択肢もある。

 

こういう事を言うと怒られそうだが、夏休みの宿題自体がそもそも「多すぎる」のだ。
私個人としては・・・

 

「自由研究」
「読書感想文」

 

これだけでいいと思う^^
子供に必要なのは「読解力」「創造力」だ。
それを夏休みという期間に培って欲しい。
読書で読解力と想像力を養い、自由研究では自分の好きな事や知りたい事をとことん調べて
自分なりの形に仕上げる。

 

そこで何か自分の得意な事や、好きな事に気付ければ尚いいと思う。
夏休みの宿題とは「課せられるモノ」ではなく、子供が自らの「才能」「得意分野」
気付く為の「挑戦」だと私は思いたい。

 

「好きなモノ」を見つける。
「得意なモノ」を見つける。
「才能」を見出す。

 

「夏休みの宿題」という言葉が「夏休みの挑戦」に変わればいいなぁ~なんて思った夏の日💗

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