2022年の終焉

今年も残す所あと10日程となった。

 

クリスマスに年末にと・・・毎年の事ながら12月とはせわしない月だ。

 

私事で言えば、久しぶりに実家の両親に会いに行けた事。
ここ数年の「コロナ禍」で、両親の所に年始の挨拶どころか何気なく顔を見に行く事すら
叶わなかったのだ。

 

10月になった頃、ようやく両親の顔を見に行けた。

 

2年以上も会わない内に、二人とも一回り以上も「小さくなった・・・」と感じた。
威厳のある父は相変わらず元気でいてくれるけど、何となく「可愛いおじいちゃん」という
風になり、母に至っては、70歳の頃に痛めた「腰痛」に「神経痛」や「内臓疾患」を加え、
3年前に自転車で転倒して背中を傷めてからは腰が曲がって以前のように動けなくなった。

 

二人とも元気だと思っているのは、娘にとっての都合のいい解釈で・・・或いは願望で、
両親は確実に「老いて」きた事を痛感させられた2022年だった。

 

共に80歳を越えている。
歩いて行ける距離に住んでいるので何かあれば飛んで行けるが、両親は年を重ねる毎に
仲睦まじくなっており、子供の私があまり出しゃばるのは憚られる。

 

昭和の時代を生き抜いた団塊世代。
父は「頑固」で「寡黙」で「怒りっぽい」
母は「貞淑」で「冷静」で「我慢の人」

 

ごくごく一般的な家庭に育ったが、私は子供の頃から「自由人」で好きな事と嫌いな事が
はっきりしており、それがそのまんま性格に反映していた。
「我儘」で「気まぐれ」で「感情的」で「自分勝手」な子供で、今更ながら両親には
「可愛げのない娘でごめんなさい・・・」と謝りたい。

 

そんな私も今年で55歳となり、色んな想いが去来する。

両親には元気で居て欲しいが、苦しみや痛みを抱えて長生きして欲しいとは思わない。
夫婦二人で寄り添う様を見てきて、どちらかが先に逝くのではなく二人共に逝ければ
幸せなのではないか?
そして願わくば・・・認知症にならずに「私」の事を「娘」であると認識したまま
旅立って欲しい・・・

 

手前勝手な願いだと思う。
自分にとって都合のいい願いだと思う。

それでも私は願う・・・
私を育ててくれた両親に穏やかで安寧な「死」が訪れる事を日々願って止まない。

私にとって2022年は、やがて来る両親の「死」について正直に向き合った年だった。

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