「不登校」~1~

「不登校」になる児童が増えた。
その理由の一つに「コロナ」による「黙食」「マスク」が挙げらている。

人の心は思いのほか「複雑」「繊細」「脆い」

「たかが黙食やマスクで表情が読めないだけで、心が脆くなるなどあり得ない」
「それは本人の心が弱いせいだ」

さも本人に責任があるかのように言うが、人なんて誰も彼も「脆い生き物」である。
自分の尺度や価値観に凝り固まっている人ほど、他人にそれを押し付けてくる。
そしてそれが「正しい」事だと信じて疑わない。

それが学校の中でも当然起こり得る事で、一教師の一言に傷ついた子供や、
大人達の都合に振り回されて自分の意見を蔑ろにされてしまった子供など、
そういう事が無意識に言われ行われてきた。

 

子供が「不登校」になるというのは、
子供自身の「自己防衛」であり「自己主張」であり「反抗」である。

 

子供自身が「もうこれ以上頑張れない!」と悲鳴を上げているのにも関わらず、
大人や学校は何とかして学校に行けるようにあれこれと手を尽くす。
子供は大人たちのそういう「腫物」に触るような行為にも、少なからず傷ついている。

「学校に行かなければならない神話」が、今の世にも厳然としてある。
「子供の個性を伸ばし・尊重し・自由で明るい学校!」という謳い文句の学校も
教育委員会には逆らえる訳もなく、そのスローガンは絵に描いた餅でしかない。

特に「義務教育」では「教育委員会」が絶対であり「文科省」が絶対なのである。
そんな組織の中では「個」という存在は見落とされ、見逃されてしまう。

「不登校」
とは、悪い事でもなければ、恥ずかしい事でもない。
子供が自分を守る為の正当な行為であり、子供の自己主張と自立を促す行為だと私は思う。

学校という所は一つの「社会」として存在している。
その中では「学校」という組織の元で、多くの生徒が学業を習得し協調性を育むよう
教育されていく。
それ自体は悪い事ではないが、どうしても多数派という中で「個」は異端視されがちだ。

 

「個性を伸ばす」というのが、思いのほか難しい事であると多くの大人が気付かない。
その「個性」が自分たちを脅かすものだったり、不安を想起させるものだったりすると
人はそれを「排除」しようとしたり「矯正」しようとする。

※長くなりそうなので、続きは次回へ^^

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