「べき思考」

「~するべきだよね」と、何気ない会話の中で言われる事があります。

 

 

特に真面目な日本人にはこの言葉がてき面に効く。
そう言われると「そうするべき」と思い込んでしまうのだから、物凄く厄介だ。

 

仕事をしていると特に言われるこの言葉。
そのほとんどが「主観的」なモノだったり、その人個人の価値観だったりして
曖昧である場合が多い。
それをさも当然の「常識」のように言及するから、反論するのも面倒くさい。

 

でも・・・それを有耶無耶にしてその人の言う通りにやり過ごしてしまうと、
その人は「べきべきモンスター」となって、誰彼構わず「~するべき」という
押し付けをしてくる。

 

一度でも自分の言い分(~するべき)が通ると、自分は正しい事をしたんだと
自信を得る。
それだけならいいのだが、エスカレートするとちょっとした不正や適当さすら
許せなくなって「臨機応変」「柔軟な対応」にケチをつけては、
その場を度々凍り付かせる。

 

時には「適当に受け流す」事も必要な場面ですら、ムキになって言い募る姿は
端から見ていて痛々しい。
結果、お客様を怒らせてしまっても
「こっちの言い分が正しくて相手が間違ってる」
という理論武装で身を固め、同じような思考の人々も巻き込んで「そうだよね」
と同調させてしまうから、その人の「べき思考」は更に強化される。

 

どんな事にも「グレーゾーン」を設けておくのが大切。

 

性別だって今の時代は「LGBTQ」と多種多様になっているのだから、
個人の「考え」や「気持ち」も「行動」も善悪二元論に分け隔てるのでなく、
「そういう考えもあるよね」
という風に寛大に適当に流せる関係性を構築できればいいと常々思う。

 

かくいう私がそういう「善悪二元論者」だったから、余計にそう思う。
この精神を貫こうとするとまず、

 

「友人が減る」
「対人関係のトラブルに見舞われる」
「子供に嫌われる」

 

とにかくいい事は一つもない。

 

他者が唱える「こうすべき」「こうあるべき」という言葉は無視していい。
自分が「どうしたらいいか」「この場合どう対応したらいいか」というように、
自問自答する癖をつけるといい。

 

私もそうして自らを省みると、それはもう痛々しすぎる大人だった。
結局それは全部「自分の正しさを証明するための行為」でしかなかったのだから、
そりゃ人は離れていくし・・・息子からも白い目でみられるって。

 

自分の正しさを他人に押し付けても、トラブルの元にしかならない。
「正解」ではなく、双方が納得できる「納得解」を求めるように話し合える関係。
それが一番ラクな人間関係だと体験する事によって気付かされる。

 

誰の考えも「それはそれで正しい」と思える事
それが自分と違っていたって大した事はない。
そんな風に気楽に構えて自分の人生をラクに楽しくしよう♪

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次