言霊の力 ~①~

「言葉には魂が宿る」

何かの本にそう書かれていたのを憶えている。

私たちは、他者とのコミュニケーションに「言葉」を用いている。
その何気ない言葉には「魂」があり、その言葉一つ一つに「力」「意味」がある事を
意識してない人が多くなったように思う。

 

昨今はSNSの発展により、目の前にいない相手とのコミュニケーションが盛んに
行われるようになった。
自分の思った事や感じたままをそのまま呟けるSNSはネット上で日記を共有して
いるようなもので、それは幅広い世界に触れる機会や体験に繋がる、という意味では
とても良い事だと思う。

 

その一方で、そこに投げられた言葉が波紋を呼ぶケースも少なくない。
何気なく呟いた一言が「相手を傷つけてしまう」という事が日常茶飯事になっており、
ともすれば人命に関わってしまうという由々しき事態に陥っている。

 

巷のニュースでも取り上げられる有名人の「自殺報道」などがそれに当たる。

 

SNSで何でも自由に発言できるのはいいと思う。
問題は・・・その内容であり具体的な意味を持つ「言葉」にある。

 

誰かが何か悪い事をした場合、鬼の首を取ったように責め立てる人の言葉は、
思いのほか峻烈だったりする。

 

自分が言われて嫌な言葉や傷つく言葉を安易に発信出来てしまうSNSの危うさを、
人々はもっと切実に考える必要があると思う。
或いは「こんな事を言ったら傷つけるかも?」という想像性をもっておく事。
目の前にいない相手だからこそ、より気遣うべき所を「配慮に欠けた言葉」が氾濫
している。

 

それが今のSNS社会だ。

 

「自分の言ってる事は正しい、だから言ってもいい」
というのはその人の「エゴ」でしかない。
確かにその人にとってはそれが「正しい」のだろうが、相手にとってそれが
「正しくない」場合も往々にして有り得るのだ。

 

目の前にいない相手への配慮と気遣い、そして相手の立場になって考え想像する姿勢。
これらが無いと「言葉」はいくらでも暴力的になるし批判的にもなる。

 

「自分」と「他者」は生き方も価値観も違えば、趣味嗜好もそれぞれ異なっている。
そんな相手を、自分の物差しで測って「善悪」を論じるのはマナー違反でしかない。

 

誰もが自分の意志や気持ちを大事にしているように、相手もそうなのだと言う事。
そこを無視して相手の非を責め立てるのは、自分こそが正しいという優越感に浸りたい
だけの輩だ。

 

人としてこの世に生を受け、数十年生きてくれば誰もが人には言えない過ちを犯すし、
後ろめたい過去も持っていたりする。
それが露見しただけで、誹謗中傷を受けるという現実を自分に当てはめてみて欲しい。

 

「あの頃は若かった・・・」
「調子に乗ってた・・・」
「つい出来心で・・・」

なんて言い訳、誰もが一つや二つ経験ある筈だ。

 

そんな自分を棚上げして、何かやらかした人を非難するという行為。
しかもそれは自分には全く関係のない事で、自分には何の損害も被害もないにも
関わらず、ありとあらゆる誹謗中傷の言葉が羅列してるのを見ると、日本の未来に
絶望しそうになる。

 

②へ続く。

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